
前回に続いての「その2」はアルファロメオTZ2編。同じく「チャオイタリア’98」クラシックカーレース決勝車載映像からの抜粋より(↓)。
以前にも書いたとおり28番車にとって思い出深いTZ2。何といってもスゴかったのは、これほどまでのレアなクルマを単なるコレクターズアイテムとしてではなく、あくまでも「アルファロメオでサーキットをより速く走る」という目的ひとつでセレクトしてこられた、ロメオの大先輩Uさんの心意気。それは現在も乗られているロメオ好きならではの走りへのコダワリが満載されたアルファロメオGTAにもシッカリと受け継がれておられます。
ある意味ベローチェ乗りとしては、ひとつの究極の姿でもあるTZ2。この時はホンマにエエもん見せていただきました・・・。
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今からちょうど10年前、1998年の「チャオイタリア」決勝車載映像のオープニングラップから2周目にかけて↓。
当時からのロメオの先輩「Mブラザーズ」お兄ちゃん駆る予選3位スタートのアルファロメオ2000GTAmに、スタート直後から必死に喰らいついていこうとする28番車。その最終コーナーでのミスを見逃してくれなかったのは、予選7番手からジャンプアップしてきたローズオートさんちのNくんドライブによるこれまた同じアルファロメオ2000GTAmという展開で、今にして思えば2台のGTAmに挟まれるようにしてレースしたなんてのは後にも先にもコレっきり。やっぱ憧れのGTAmはサーキットを全開で駆ける姿がサイコーにカッコよろし・・・とか言いつつ、この日イチバンの特等席から見ていたのは他ならぬ自分だったりして・・・。
その他にもアルファロメオTZ2(!)を含むというこの日の超豪華メンバーとのバトルを制して最終的にレースをモノにしたのは、苦しい展開にもかかわらず見事なポールtoフィニッシュを決めてみせた相方27番車。28番車は予選4番手の決勝は3位完走、決勝ベストラップは1分37秒905でありました。
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いつもの昼休みの立ち読み中、「Racing on」誌のシーズンオフ企画「タミヤ模型特集」を見ていてフト思い出した大昔の記憶・・・。
今を去ること30数年前、日々草野球に明け暮れていた小学坊主の28番車がもうひとつ熱中していたのがプラモデル造り。当時はインターネットなどカゲもカタチも無かった昭和40年代、お気に入りであちこち探し回っていたプラモデルが近所のお店ではどうしても見つからず、思い余って製造元のタミヤへ直接手紙を書いたことがあったっけ・・・。「みっともないからやめろ!」と怒るおやじに、会社向けの宛名には「御中」という漢字を付けるよう後からコッソリ教えてくれたおかん・・・。ところが後日、その片田舎の小学生あてにタミヤから返事が帰って来たのには心底オドロイタ。内容はメーカー直販は行っていない旨とその代りに通信販売の取扱店の連絡先が書かれた簡単なものだったが、あの時は子供心に何だかウレシかったなぁ・・・なんて28番車の「3丁目の夕日」的お話。
因みに未だに覚えているその時欲しかったモデルは1/700ウォーターラインシリーズの「島風」。最高速度40.9ノットを誇った旧海軍最速の駆逐艦。当時から「速いヤツ」が大好きでした・・・。
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車種は旧車としてはありふれたアルファロメオ1750GTV。ビカビカにレストアされているわけでもなく、ドハデなチューニングが施されているわけでもなし。さらに東京から遠く離れた関西在住ということもあって、巷に溢れる所謂クルマ雑誌とはトンとご縁の無い28番車。それでも永年走っていると過去に幾度かはイベント紹介記事の写真の片隅に写ってた・・・なんちゅうこともあるワケで「Oh My Giulia 2」さんからのトラックバック。
↑はカーマガジン誌1997年1月号に掲載された’96チャオイタリアのレポート記事。決勝スタート直後と思われる写真の左端にチョコッと写っているのが今から11年前の28番車(↓)。四角いゼッケンに修正前の識別カラーリング、左ウインカー下には移設前のオイルクーラーダクト、エンジンもまだ1750のファインチューン仕様でガンバッテいたっけ・・・。この頃はチャオイタもまだTIサーキット英田(現:岡山国際サーキット)で行われており、メインのクラシックカーレースも年式別に2レース開催(因みに’72年式2000GTVの相方27番車は別レースに出走)。華やかだったねぇ・・・あの頃は・・・。で、28番車が出走した「70Bレース」のウィナーは↑の写真では28番車の向かって右隣、ゼッケン74の段付きは「走って潜って魚も釣れる」名メカニックことプロバメカニカのKやん。そして予選PP&決勝ファステストラップはご存知「スクーデリア・ヴェルディ」O野さんの今は亡き伝説の激速ヴェローチェ。28番車のリザルトは予選3番手スタートの決勝2位完走、ベストラップは1分58秒634でありました・・・。
追記:で、そのヴェルディO野さんによる当時の車載映像はコチラにて・・・ということでトラックバックさせていただきました。12年前の28番車の後姿もチラと写っております、イヤハヤ懐かしい。それにしてもシフトダウンでマフラーからエラい煙吹いとったのね・・・全然知らんかった・・・。

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前回の続きをもう少し・・・。この時のヒストリックカップ総合優勝は当時メキメキと頭角を現しつつあった通称「黒スッド」ことKumaさんのアルファロメオ・スッドスプリント。↑はレース終盤、そのKumaさんにホームストレートエンドでズバッとインを刺された後、アッサリとブッチギられるの図・・・。この日の詳しい様子はコチラにて。
そんなアルファスッドの秘めたるポテンシャルを存分に示した「怪鳥黒スッド」↓。さらにこの年の暮れ、雑誌社主催のツクバサーキットでのアルファロメオ最速バトルで、排気量1.7リッターの旧車ロメオとしては当時驚異的ともいえる1分7秒台というタイムを叩き出し、居合わせた関係者一同をアッと言わせたのは、我ら関西ロメオ乗りの溜飲を大いに下げさせた出来事として今だに語り継がれているお話であります。

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6月梅雨のド真ん中、今日も朝から雨、雨、雨・・・・の雨繋がりということでウェットレースの車載映像を、6年前の2001年9月14日、TIサーキット英田にて行われたポルテロ・アルファロメオチャレンジ第3戦より・・・。
28番車の場合、雨天でもサーキットでは余程のことが無い限りワイパーは動かさず、予めフロントガラス外側に撥水コーティング剤「レインX」、内側には曇り止めの「クリンビュー」を塗り込むことで前方の視界を確保。思うにこのテのケミカル、後発の製品は量販店の売場の棚を埋め尽くすほど多々あれど、やはり「元祖モノ」に一日の長アリ・・・というのが個人的感想。
この頃はまだ排気量1779cc時代。現在の2リッターエンジンとはまた一味違った1750特有のエンジン音も懐かしや・・・。因みに前を行くのは当時の「スクーデリア・ヴェルディ」ワークス2号車だったアルファロメオ・ジュリアスーパー(1号車はコレ、動画はコチラ)。その後オーナーを変え現在もアルファロメオチャレンジ関西・ヒストリッククラスにて元気に活躍中。↓はそんな’06年のロメオチャレンジ関西最終戦でのスナップであります。

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懐かしい「JTCC特集」の表紙につられ思わず購入した「Racing On」誌2007年7月号。
「アルファロメオ155が出るらしいゾ!」ということで仲間内皆で観戦に出かけたのは開催初年度の1994年、真夏のTIサーキット英田で行われたJTCC第11・12戦。ところがお目当ての155は前日までのトラブルで出走せずとのことでピットはすでにもぬけの殻・・・。「な~んや・・・せめて車輌だけでも見せて欲しかったなぁ・・・」とガッカリした気を取り直して隣のパドックを見るとそこには「AC Schnitzer」のロゴも鮮やかな巨大トレーラー群。「おお~っ!!ホンマもんのワークスや!!」とカンドーしつつ間近に見ると、その一角だけ本場ヨーロッパのサーキットのような雰囲気(行ったことないケド)を醸し出すシュニッツァーチームのピットに完全おのぼりさん状態で釘付けに。さらに遥か極東の地でのレースにおいてもなんら変わらぬ「BMWワークス」のその堂々たる戦いっぷりにいっぺんでファンに。
圧巻はその後テレビ中継で観た仙台ハイランドレースウェイでの同年JTCC第15・16戦。FRのウェイトハンデ(100kg!)をモノともせず見事2ヒートとも制したのはBMW318i駆る「職人」スティーブ・ソパー選手。完璧なゼロカウンター状態で最終コーナーを立ち上がってきたかと思うと、アウト側リアタイヤを縁石の端にチョーンと僅かに掠めつつホームストレートを猛然と加速していくその姿は「美しく」かつ「速い」まさに「FRの鑑」。
やっぱ「後ろ搔き」はこうでなくっちゃ!・・・と、とりあえず自分のコトは置いといて・・・。
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先週末「Giro de DAISEN」参加のため前泊させていただいた白猫#35さんご夫妻のお宅で出た昔話。1991年12月1日、広島県佐伯郡は大野町「チチヤスハイパーク」内で行われた「’91広島ヒストリック・モーターカーニバル」。当時まだご結婚前だったお二人揃って観にいらしていたこのヒストリックカーによるヒルクライムに28番車もエントラントとして参加していたという、まぁなんとも奇遇なことで・・・。
「そういえばあの時ヴェローチェが1台コースアウトして崖から落ちかけたんですよね~」と白猫#35さん。
「そ・・・それは相方27番車でゴザイマス・・・」
忘れもしない2ヒート制で行われたヒルクライムの1本目終了時のゴール地点駐車場。待てど暮らせど現れぬ相方27番車を訝る28番車に、「オイ!君んとこのアルファロメオ、一台崖から落ちとったぞ!」と教えてくれたのがこの頃既にヒストリックカーレースの雑誌記事等でおなじみだった岡山の510ブルーバード軍団の方々。当時は相方27番車もナンバー付で共に遠路はるばる広島まで夜を徹しての自走参加。「おいおい、どないすんねん・・・」と心配した矢先の2本目、今度はもう1台自走参加していた仲間内のアルフェッタGTがゴール直前の側溝に前輪を激しくヒットさせリタイヤ・・・。
こりゃ今日中に帰るのはムリかも・・・・と諦めかけたヒルクライム終了後、タイロッド脱臼で前輪が片方だけアサッテの方角を向いちゃたアルフェッタGTを不安げに見守るギャラリーを尻目に当時出たばかりだったアルファロメオ164に乗って同行してくれていた「柳原メンテナンス」御大、何食わぬ顔でその場で一発タイヤに「蹴り」を放り込んで修理完了!さらに立ち木に紐でくくりつけられた状態でかろうじて崖下転落を免れている相方27番車を寄ってたかってエンヤコラと引っ張り上げた後、皆揃って何食わぬ顔して自走で大阪まで帰ったっけ・・・。
↓はその2ヒート目アタック中の28番車。寸止め状態の相方27番車(赤丸内)を発見してガクゼンとするの図。
思えば今を去ることもう16年も前のお話。いやはやあの頃は皆ワカカッタデス・・・。

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子供の頃からステッカーやシールの類には目が無く、今でこそ若干治まりつつあるものの、以前は自分の車にも常日頃お世話になっているお店の名前や気に入ったロゴなどを、夜な夜なカッティングシートを切り抜いてこしらえた「家内制手工業的ステッカー」にしては、せっせとボディに貼り付けていた頃の写真。ホドホドにしときゃいいのに調子に乗ってついやりすぎてしまうセンスの無さよ・・・。
あの頃もしこんな便利なものが手元にあったら、さらに目も当てられんような事態になっていたのでは?・・・・なんて往時を思い出しつつ「Casa Mia」さんにトラックバックさせていただきました。
追記:さらに自作ステッカー製作にて奮闘中のコチラにトラックバック。ユメユメこのようなコトにならぬよう、あくまでも反面教師として御笑覧くださいマシ・・・。
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その昔必要に迫られて施した28番車の自車識別用カラーリング。当初は↑のようなデザインで黄色の缶スプレーをプシューッとやっていたが、数年後お手本にしたレーシングカーのイラストがカーマガジン誌の表紙になったのを見ると、実はこの塗り分けのラインが微妙に間違っていることに気付き、改めて↓のようなラインで塗装し直して現在に至る。ところがこんな些細な違いでもよく見ていらっしゃる方はいるもので、塗替えした直後のある日のこと、「柳原メンテナンス」でお会いした顔なじみのお客さん曰く・・・
「本当はこうなんですよね!いや、ず~っと前から見かけるたびに言おうかな?どうしようかな?なんてそらもう気になって気になって仕方がなかったんですよ。あ~やれやれ、おかげでスッキリしました。」とのこと。
好きなヒトはちゃんと見てくれてはるモンなんやなぁ・・・なんて感心するやら恐れ入るやら。何かにつけ無頓着な28番車と違い、筋金入りのロメオファナティックはサスガに一味違いましたですハイ。

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OS技研のLSD繋がりで「Oh My Giulia 2」さんからのトラックバック。28番車が同じノンスリを初めて組み込んで出たレースが忘れもしない’01年の「チャオイタリア」。この頃はまだヴェローチェ用の国産ノンスリが出始めの時代でその効果のホドは仲間内ではいまだ未知数。当時はまだ1.8リッターエンジン搭載の28番車、そこを思い切ってあえてシーズン最終戦のチャオイタで導入。ところがハーフウェットの朝のフリー走行では各コーナーでクリンクリンとスピンを連発。これは乗り方を変えないとマズイ・・・と当時既にOSのLSD装着車を走らせていたローズオートさんのピットに出向いてM正社長に教えを乞うたところ、「はぁ~?そんなモン心配せんととにかくガンガン踏め!」とのこと・・・。
「ほんまかいな・・・?」と半信半疑ながらも続く予選では思い切ってターンインのキッカケだけこしらえて早めにアクセルを入れてみたところ、以前のようにトラクションが横に逃げていくことなく、向きを変えながらグイグイ前へ進んでいくことに気付く。「ナルホド判った判った!コレやったらイケマッセ!」と予選走行中のホームストレートで当時はまだ稼動していたラップタイム表示板をチラっと覗き込むとゼッケン28は暫定ながらポールポジション!「チャオイタ出始めて苦節ウン年・・・ついにワシの番がまわってきた!」なんて喜んだのもつかの間、その予選中に突然のサスペンショントラブル発生で万事休す。折角のポールポジションのグリッドに28番車を並べることもできず・・・あ~千戴一隅のチャンスやったのに~・・・と悔やんでみても後の祭り。当日エントリーしていた相方27番車を始めとした他のエントラントの猛者どもがこの日のノンスリの威力を当然見逃すハズもなく、翌シーズンからは皆こぞってOSのデフを導入・・・自分だけおいしい思いをさせてもらえたのは僅か1戦のみで終わってしまったとさ・・・・。アレから早5年・・・28番車「チャオイタ」ではいまだに連敗街道まっしぐらでありマス。
当日の詳しい模様はリンクサイト「Scuderia Sud」内のコチラのページにて・・・元祖黒スッド乗りのクマさん、元気にしてるかなぁ~?
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その昔28番車が乗っていた時分のPF60ジェミニ乗りの間で定番中の定番だったのが、バックミラーやエンブレムをドイツ版兄弟車「オペル・カデット」のものに交換した所謂「カデット仕様」。とは言え当時はまだヤナセが輸入取扱を始めて「オペル」が日本でも身近になるずっと前で、当の28番車本人の知識も「どうやらモノの本等によるとヨーロッパではそういう兄弟車が走っておるらしい」という程度で果たしてその実体は見たこともないし、よー判らん・・・といったのが実際のところ。
ところが最近こちらで恐らくドイツでのジムカーナやヒルクライムの動画を紹介されているのを発見。で、そこに頻繁に登場するのがこの「旧型オペルカデット」。今にして初めて見たその外観はホンマにFRジェミニそのまんまで納得するやら懐かしがるやら・・・。ただコレ見て改めて思うのが個人的な好みで言えばPFジェミニは↑の28番車が昔乗ってた4枚ドアよりも2ドアクーペ。
でもあの頃中古でジェミニZZ/Rの2ドアってなかなか無かったのよねぇ・・・。
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もうずいぶんと昔の話、28番車がまだ以前の勤務先だった頃、職場の後輩夫婦から新婚旅行のお土産にいただいた中に入っていた靴の絵の刺繍入りの布袋。最初見た瞬間は「ん?なんだコリャ」となったがすぐに気が付いた。そういえばこの前の年の1999年、まだ独身同士だった二人揃って「チャオイタリア」を観に来てくれたんだっけ・・・。
当時レーシングシューズはいつもスーパーのレジ袋に入れて持ち運びしていた28番車。普段パドックに巣食うムサくるしいヤロー共が見かけたって別にナーンモ感じないところだが、サスガに女性は目の付け所が違う。恐らくそのあまりにみすぼらしかったレジ袋を見るに見かねて、後日新婚旅行のお土産にそれ用の収納袋をそっと入れてくれるという・・・よく気の付くいい奥さんもらっちゃいやがって!うらやましーぞ!コノヤロー!・・・・で天は話を終わらせてはくれず・・・。その僅か数年後、転勤先でその奥さんの突然の病による訃報に接することになってしまうというあまりに悲しい後日談。
この収納袋、今でも毎レース大切に使わせてもらってます。
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アルファロメオTZ2つながりで「Oh My Giulia 2 (club Mother Head)」さんからのトラックバック。
28番車にとってTZ2との一番の思い出はなんと言っても’98年のチャオイタリア。決勝ではポールスタートの相方27番車と予選3位のアルファロメオGTAm、そして5番グリッドからジャンプアップしたアルファロメオTZ2の3台による壮絶な三つ巴のトップ争いを後方から追いかけていた予選4番手スタートの28番車。目を三角にして前方でダンゴ状態の3台を追いかけつつも、つい「うわ~カッコええなぁ~!ひょっとしてワシが一番特等席で観戦してるんとちゃうやろか?」なんて思わず見とれてしまったりして・・・。その後ラスト2周となったところでGTAmがクーゲルフィッシャーのリンケージトラブルでリタイヤ、結局ファステストラップを記録しながら惜しくも2位のTZ2、見とれてばかりもおれんとナントカ最後まで喰らいついて3位完走の28番車を従えて見事ポールtoウィンを決めたのは相方27番車。あの時はフツーのカッコしたヴェローチェでよくぞガンバリよったものよ・・・。
写真はさらにその後、2003年のチャオイタリア。フリー走行中のセントラル最終コーナーでGTAmのインをパスする当時4年ぶりに復活なったTZ2だったが決勝はマシントラブルで惜しくもリタイヤ。年々強大になっていくSタイヤのグリップに最早TZ2の華奢なチューブラーフレームでは限界だったとのこと・・・。それにしても軽量・低重心な本チャンのレーシングカーはこないな動きをしよるのか!?と舌を巻いた運動性能でひらりひらりと自由自在にラインをトレースしていった平べったいコーダトロンカのボディ・・・。
あの動きはとても同じロメオとは思えんかったなぁ・・・。
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「祝!セントラルサーキットにP-LAP導入」なんて書いてたら思い出した。
そういえば昔はこんな便利なもんがセントラルサーキットのピット上にはあったんだっけ。上位6位までのラップタイムをリアルタイムで表示するラップモニター。本来は観客席向けの設備だが、メインストレート走行中の車内からも確認でき、特に予選中は他車のラップタイムも含めたその時点での自分の順位が一目瞭然なのでえらく重宝した覚えがある。
写真は’97年チャオイタリア予選中のスナップ。PPを獲得したカーNO.1、マルティニカラーのワークス・ランチアラリー037に続いて2番手に着けていたのは関東の超有名ドコロ、「ガレージゴトウ」ワークスのゼッケン75番。当時すでに激速マシンとして何度も雑誌等に紹介されていた段付きの実物を初めて目前にして、目の色変えて喰いさがった28番車は僅かに届かず予選3番手・・・。地元の利を活かせずあえなくヤラレちゃいましたの図。
このタイムボード、その後システムの不調からか文字番の表示が一つ欠け、また一つ欠け・・・、現在ではただの黒い物体に成り果ててしまっている様子だがコレ、できれば復活させてほしいッス。
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「2002年のレース」繋がりで「blog@Nero-8 Archives」さんよりトラックバック。
28番車の2002年を振り返ってみると、それまで参加していた「ユーロカップ」のイタリア車クラス(この頃は未だクラシックカークラスは無し)をお休みして「アルファロメオチャレンジ関西」に専念したのがこの年。さらに毎年各地区持ち回りで行われるアルファチャレンジ全国統一戦が、2002年度は地元TI開催だったので出場。それから楽しみにしていた毎年恒例の「チャオイタリア」に仕事の都合で参加できなかったのもこの年だったっけ・・・。
写真はアルファロメオチャレンジ2002関西第1戦の決勝スターティンググリッド風景。この頃はまだ悲願の「ヒストリック単独枠」は実現しておらず、モデルナクラスとの混走レース・・・旧車は肩身狭かったっス。
因みに2002年度、28番車のリザルトは以下の如し、いずれも総合の順位デス。
アルファロメオチャレンジ関西 第1戦
2002年6月23日 TIサーキット英田(ドライ)
H180クラス 予選9位 1’56.004 決勝7位 BT 1’57.034
アルファロメオチャレンジ関西 第2戦
2002年7月28日 TIサーキット英田(ドライ)
H180クラス 予選3位 1’57.384 決勝6位 BT 1’56.482
アルファロメオチャレンジ関西 第3戦
2002年9月1日 TIサーキット英田(ウェット→ミディアムウェット)
H180クラス 予選8位 2’21.602 決勝8位 BT 2’03.583
アルファロメオチャレンジ 全国統一戦
2002年12月14日 TIサーキット英田(ドライ)
H180クラス 予選13位 1’55.933 決勝11位 BT 1’55.934
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KP61スターレットを擁して勇躍乗り込んだ中山サーキットであったが、ものの見事にノされてしまい、その後しばらくおとなしく過ごすことに・・・というか、もうどうにもこうにも身動き取れなくなってしまった。当時は給料天引きの独身寮住まいだったので住む場所と食べることだけはなんとかなったのがせめてもの救い。
その後しばらくしてやっと落ち着いてきた時に知り合いから譲ってもらったのが、またもやジェミニZZ/R。以前手放した1台目が忘れられず、もう1度やり直してみたくなった。2台目は俗に言う黒ヘッド搭載の最終モデル、昭和61年式ラリーSPL。
今度は街乗りも快適にとエアコン・内装付きのままでコツコツいじりだす。その頃知り合った名古屋のジェミニオーナーズクラブの人にタダでもらった中古のボルトオンターボキットを付けてみたり、解体屋さんで拾ってきたエアロパーツなんかを取付たりしていたが、いまいち目的のハッキリしない中途半端な仕様になんとなく煮詰まってしまい、結局たまたま雑誌で見かけた中古車屋さんに売りとばしてしまう。
今までで唯一苦い思い出が残ってしまった車、悪いことしたなと今でも思う。写真さえ一枚も残してあげられなかった。
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すったもんだしながらも何とか参戦にこぎつけたNCHKグランプリS-Ⅰクラス。
デビュー戦の決勝スターティンググリッドは堂々の最終コーナー立ち上がり。結果はフロントガラスに跳ね石を喰らい、目の前真っ白けでリタイヤ。JAF戦では合わせガラスへの交換が義務付けられていることの意味を身を持って知る。
その後も挫けそうな気持ちを奮い立たせ、借金まみれでフルエントリーすること2年余り。シリーズ合間に行われる平日練習会での大クラッシュというオマケつきで、結局最高位は3位止まり・・・それもタナボタ。
4K1300ccエンジン+ウェーバー40Φ×2のKP61で当時自分の中山ベストタイムが1分13秒台。同じKP61のシングルキャブ仕様でも12秒台で走るドライバーはゴチャマンと居り、自分の下手さ加減をトコトン思い知らされることになった。
「ホントいい勉強させてもらいました。今でも大好きな想い出のKP61。イイ車だったなぁ~・・・。」
なんて今だから言えること。
あの頃はそりゃもう、ヘコんだヘコんだ・・・。
追記:そんな当時の並居る激速KP使い達の中の1台がコチラ。何の因果かいまだにパドックで顔を合わせれば色々とアドバイスをしていただいております・・・ということで思い出のKP61繋がりでトラックバックさせていただきました。
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一念発起で310サニーを用意したはいいが出場可能クラスがものの見事に無くなってしまい、すっかり途方にくれていたもののここまで来たからにはもう後へは引けまへん。丁度その頃、NCHKのS-Ⅰクラス(KP61のエンジンライトチューンクラス)で走っていた方が、来シーズンからは鈴鹿シビックレースにチャレンジされると聞きつけ、乗っていたKP61をまたまた格安で譲ってもらうことに。
実はこのKP、前年まで激戦のS-Ⅰクラスで常にトップ争いを演じてきており、その戦闘力は折り紙つき。
さあ後は運転手が頑張るだけでっせ!という状況の元、はてさてどうなりますことやら・・・。
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PF60ジェミニで走行会にハマッていた’89年頃、中山サーキットでは「NCHK」(中山サーキットを走ろう会)という模擬レースが毎月開催されており、毎回優に100台を超えるエントリーを集めていた。
「やっぱ次はNCHKでしょ!」とか言いつつ、格安で譲ってもらったのがこの「310サニー」。
エンジンはほぼノーマルのシングルキャブ仕様だったが、足回りは前オーナーがしっかり造ってあり、ものすごく乗り易かった。この車で中山サーキットの貸切走行会、ジェミニで毎夜お山をドライブ。よーやるわ、我ながら。
当時NCHKのNクラス(エンジンノーマルクラス)には、超激戦区「N-ⅠAクラス」(KP61シングルキャブ)の下に「N-Ⅰ0」クラスというKP61以外で1300CC以下のシングルキャブ車クラスがあり、ここは比較的エントリー数も少なく狙い目ちゃうか?ということで翌年からの参戦を予定していた。
ところが、その年の終わりに「N-A0クラス」はエントリー数が少ないため中止が決定してしまう。
「えーっ!そんなー!」なんて言っても後の祭り。さあどうする?
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PF60ジェミニでせっせと通いつめた中山サーキットの模擬レース、時は1989年6月16日、スターティンググリッドでの1枚。
ずらりと並んだハチロクに混じってジェミニがポツーンと1台。
見えますか~?3列目アウト側ですよ~!って何叫んでんだか。因みにPPにチラッと見える黄色のハチロクは泣く子も黙る中山の主、RSM元のMさん。当時から信じられんぐらい速かった。
「打倒ハチロク!」なんて頑張ってみたものの、打倒されっぱなしだったあの頃。依然としてジェミニは大好きだったけれど、やっぱりナンバー無しのレース専用車輌で走ってみたくなるのが人情ってもの。とは言えイチからこしらえるお金などあるハズもなく、やむなく中古のレース車輌を探すことになりましたとさ。
さらなる泥沼へとズブズブズブ・・・。
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もう20年も前の話、初めて「アルファロメオ」という車の存在を教えてくれたのが、高校時代からの友人K。この男の影響をモロに受けて車に興味を持つようになる。「カーグラ小僧」だったKが苦労の末に手に入れたのが、新車当時そのカーグラで絶賛されていた中古の「アルフェッタGT」だった。この車の面倒を見ていたのが「柳原メンテナンス」で、フェッタの持込・引取時にはいつもKの実家のカペラで付いて行ってたのがこちらとの最初の出会い。当時はまさか自分もロメオ、それももっと旧いヴェローチェに乗ろうなどとは夢にも思わなかった。アルファロメオは所詮あこがれの「ガイシャ」、自分が買うなんてとてもとても・・・。
写真はそんな’85年頃の1枚、左から友人OのVWゴルフⅠ、KのアルフェッタGT、そしてホンダライフ、揃いも揃って赤ばっかりの日独伊各車並んで、「はい!ポーズ。」
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初めて買った車とくれば、お次は2台目。昭和57年式いすゞジェミニZZ/R。
興味の対象がバンドから車へと移りだした頃、とにかく「ツインカム」の「FR」が欲しかった。ロクに知りもせんクセに・・・。
中古車屋さんにあるときからエアコン無し仕様だったので、当然エアコン付けての値段で商談しているつもりだった店員さんに「エアコン要りませんから、アト少しまけてください!」とお願いしてようやく手に入れた1台。
憧れの「ダブルジィーアール」。若造とにかく嬉しくて嬉しくて・・・行ってしまうわな六甲山。やがて毎夜のごとく再度山へ上がるようになり、さらに中山サーキットの走行会、模擬レースへとハマリ込んでいくことに・・・。当然給料はもらった端から燃料代、タイヤ代へと消えていくというお決まりのパターン。写真は中山サーキットのピットロード上での1枚。安物のバイク用手袋に綿つなぎ、ヘルメットに至っては当時住んでいた独身寮のゴミ置場に捨ててあったやつだ。
外観は純正の白からAE92の赤に全塗装、角目バンパーに丸目グリル、エンゲルマンのドアミラーにホイールはカンパ101Eの13インチ+175の70Sタイヤ。内装はコルビューGTAにサベルトのハーネスとナルディ・クラシック。エンジンノーマルで戸田のフライホイールと藤壺のタコ足・マフラー。足回りはオリエントスピードの強化サス+ハヤシのショック(F:117クーペ用改、R:ダルマセリカ用)その他諸々が最終仕様だったと思う。
最後は訳あって「カスターカップ(当時中山で行われていたジェミニワンメイクレース)用のベース車輌に。」と請われて名古屋のジェミニオーナーズクラブへ貰われて行ったが、あれからどうなったことやら。
とにかく、この車にはホントお世話になった。だから今でもイベントなどで美しく保たれたジェミニZZを見かけると懐かしくて涙が出そうになるのである。年とると涙もろくなっちゃってねぇ・・・。
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「免許とって初めて自分で買った車って何ですか?」
車好き同士の会話の中でしばしば登場する話題ではなかろうか?私これ。「ホンダライフ」。
今となっては「初代ライフ」か。ご存知ホンダの360cc規格軽乗用車。京浜製ツインキャブ装備の36馬力仕様で確か「GR」ってグレードだったと今にして思うが、購入当時(’84年頃?)は走りに関する興味全く無し。ホントはステップバンが欲しかった・・・。ケド高かった・・・。
元色のモスグリーンがハゲチョロケだったので、アホなことに下地処理皆無のまま缶スプレーで赤色に塗り替えようとするんだから、知らないという事は恐ろしい。散々苦労した挙句に哀れ、不気味な艶消しの赤黒い物体にされてしまったホンダライフ。一週間もしないうちにあちこちからペリペリ塗膜が剥がれ落ち、さらに怪しさを増すことに。
その後、バイトに次ぐバイトでなんとか貯めた全塗装代を握り締め、半泣きで訪ねた近所の板金屋さん。「はあ~っ」とため息ついて呆れられつつも親切に説明をしていただき、初めてプロの偉大さを知ることになる。
機械的には大したトラブルもなく、小さいナリでチョコマカ元気に走り回ってくれた後「安くてぇ~、小っちゃくてぇ~、カワイ~イ車」をご所望だった友達のお姉さんにもらわれていったっけ。そういえばノーマルで1万回転のタコメーター付いてた車って後にも先にもこれだけだったなぁ・・・。
追記:当時メチャメチャ憧れたステップバン、今だ健在なり。いやー今見てもいいわ。
さらに「初めて買った車」繋がりでコチラにトラックバックさせていただきました。
追追記:さらに同じく「最初の車」繋がりで「アルファロメオの修理日記」さんにトラックバックさせていただきました。
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